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お寺から始める ココロとカラダの健康塾 #1-2 仏教の智慧が「健康」にもたらす力 (後編)

2018.09.10 MON 18:26
構成 増山かおり
PROFILE

川野泰周(かわのたいしゅう)

臨済宗建長寺派林香寺住職/RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長

2004年慶応義塾大学医学部医学科卒業。臨床研修修了後、慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。2011年より大本山建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行を行った。現在は寺務の傍ら精神科診療にあたり、マインドフルネスや禅の瞑想を積極的に取り入れた治療を行う。またビジネスパーソン、看護師、介護職、学校教員、子育て世代の主婦など、様々な人々を対象に講演・講義を行っている。著書に『ずぼら瞑想』(幻冬舎)、『あるあるで学ぶ余裕がないときの心の整え方』(インプレス)などがある。精神保健指定医・日本精神神経学会認定専門医・医師会認定産業医。

お寺での繋がりが、健やかな心と体を育む

 坐禅やヨガ、マインドフルネスの講座など、既にお寺にある資源を楽しみたい人はたくさんいるのに、それを結びつける縁がないというのが、今のお寺を取り巻く状況です。そんなお寺と人を繋ごうという試みが、寺子屋ブッダの体と心に関わる活動だと感じています。

 今はパワースポットブームで、力をもらおうとか心を回復させようとか、何かしら目的を持った方が集まるようになっていますが、それはあくまで副次的なお土産のようなもの。お寺は、さきほどお話したような日常を手放して、ありのままの自分に戻るために来る場所だと思います。ありのままの自己存在を、自分自身が認めてあげる。自分にねぎらいの言葉をかけてあげる。本来はそういう場所であるはずです。例えば、ぬか漬けのワークショップなら、おいしい漬け物の作り方を学ぶこと自体を目的にするのではなくて、1人の人間存在に戻るために、お寺のいろんな要素を体験していただくということ。そういう意識をもって、お寺で多くの人と場を共にするということは、心の健康にとって非常にプラスになります。

 江戸時代だったらみんな同じ年貢を納め、弱い立場の人間同士で支え合えることもありましたが、今は同じ立場の人同士で競い合っている時代です。競争原理が働きすぎている社会から距離をおいて、本来の人間が持っている互助・共助の精神を思い出すための機会として、お寺は格好の場所であるといえます。

 例えば、食事をする場合、レストランだったらおのおの好きなものを注文して待っていればテーブルにやってきますが、お寺では自分だけ好きなものを食べるわけにはいきません。食べられる分だけ自分でよそって、みんなで同じものを食べます。1人の人が多く盛りすぎたら、他の人のバランスが狂ってしまう。お寺は、他者の存在を認めることや、他者との繋がりが、自然と育まれる仕組みになっているんです。こうして、うつや自律神経失調症になってしまう前に、二次予防でも、一次予防でもない、いわば「ゼロ次予防」、つまり健康を増進して疾病を予防する役割としての場を提供できるのが、仏教であり、お寺だと考えています。現代病に立ち向かうときに必要なのは、まず第一に、現代で失われた、古くからの生活スタイルを取り戻すことです。そのためには、いにしえの伝統を今に伝え、何十年、何百年という歴史を持つお寺に身をおくのが、最も理にかなっています。

 こうしたいにしえの仏教の智慧と、現代の最新の医療。一見対立するようにも見える2つの根底には、まったく同じメッセージが流れています。それは、よりよく生きるために必要な心と体の健康を維持するためには、「良い生活習慣」を身につけるべきだと考える点です。近年、仏教の真理が、科学的観点から徐々に証明されてきていることは、そのあらわれのひとつであると思います。

 体が求めるものを適切に摂る「食事」、そうして得たエネルギーを正しく消費する「運動」。そしてその結果もたらされる「休息」が、明くる日のよき「食事」につながっていきます。

 心においても、同じような循環が考えられます。自分をありのままに肯定する「自分を認める」力、それが他者にも波及することで「他者を認める」力になります。その結果、人と人との安定した「繋がり」の中で生きられるようになる。こうした繰り返しの中で、さらに自己をそのままに肯定できる心が養われていくはずです。そして、こうして育まれた心が、健やかな体を作るのです。

 現代の生活の中で歪んでしまった暮らしを見直し、心と体を整えるために、仏教と医療ができることを最大公約数として捉えたものが、この6つの要素「食事」「運動」「休息」「自分を認める」「他者を認める」「良き繋がり」に集約されていると言ってよいでしょう。

 私たちは、この6要素を土台として、よりよく生きるために必要な6つの生活習慣を提供する「ココロとカラダの健康塾」を始めました。お寺を会場とし、ココロの講師は僧侶が、カラダの講師は医師が務めます。全国各地のお寺で開催できるよう仕組みづくりを図っていきたいと考えています。

お寺も「ありのまま」でいこう

 「よりよく生きるための習慣は、普段のお寺の中にある」ということを、さまざまな点からお伝えしてきました。

 今回ぜひお伝えしたかったのは、お寺に人を迎えるのに、何か新しいモノが必要なわけではないということです。同時に、お寺を利用する人も、自分の体と心さえあればいいのです。例えば睡眠の問題に取り組むにしても、病院での治療のように、睡眠薬を処方して、あるいは特殊な光照射器具を用いて……といったことはしません。自分の体と心という資本を使いながら自己を癒していくのが、寺子屋ブッダ、そしてお寺の取り組みだと思っているんです。普段の診療でも、患者さんに日々マインドフルネス瞑想の実践をお勧めしていると、「瞑想用のアプリをダウンロードしていないから瞑想ができない」とおっしゃるので、「アプリがなくてもできますよ!」というやり取りをすることがしばしばあります。私はそのような方には、「知識と思い一つで、自分の心と体は、何歳からでも変えてゆけるんですよ」とお話ししているんです。便利なものが多すぎて、自分の中に資源があるということを忘れてしまいがちですが、そのことに気づくきっかけをお寺に来る方に伝えられればと思っています。

 ヨガを実践するにしても、都会のスタイリッシュなスタジオでするのも素敵なことですが、お寺でするヨガにはまた、全く違った五感が研ぎ澄まされる感覚があると感じています。日頃やっている健康習慣をお寺で行うことによって、本来の自分とさらに深く向き合えるのです。木の香り、畳の柔らかさ、風の通る広々とした空間。お寺は五感への刺激に満ちています。

 お寺の本堂が新しくなければいけないというわけではないんです。築200年、300年といったお寺は、日本各地に普通にあります。「うちはボロボロだから、人なんて呼べないよ」とおっしゃるお寺さんも多いのですが、逆にそれが資源なのだと気づいていただきたいんです。そこに気づきさえすれば、今のまんまでいいんですよ。お寺がキレイじゃなかったら、場を主催者に開放して、掃除というワークを提供してもらってもよいのではないかと思います。掃除は何よりも素晴らしい「自らの心を清める」ワークになるのですから、参加者の方に喜んでもらえて、さらにお寺もキレイになる。お寺は場所を提供するだけでも多くの方に恩恵をもたらすことができる。これが可能なのは、いにしえの智慧をたたえた場であるお寺だからこそです。

 アクセスのよい大都市のお寺にしかイベントができないわけではありません。立派な仏像がなければ喜んでもらえない、というわけでもありません。イナゴなどの虫が飛び回る自然豊かなお寺や、池に鯉がいるお寺だってあるでしょう。お寺にはお経も、鐘も、お鈴も、広い場所もあります。雨の日には、雨だれのいろんな音階が音楽を奏でることもあるでしょう。人間が自然回帰、原点回帰できるきっかけをくれるものが、何かひとつでもあればいい。都会の日常から離れた場所であるほど、訪れた人は日常を手放すことができます。そう考えると、すべてのお寺が財産を持っているということになります。お寺は心と体の健康を取り戻す場所だと考えれば、田舎のお寺のほうが逆に資源があるともいえますね。地方のお寺がもっと開かれた場所になっていくことを願って、お寺がすでに持っている財産を使いながら提供できる、心と体の健康のためのヒントをお届けしていきたいと思っています。

 次回からは、今回お伝えした6つの要素、「食事」「運動」「休息」「自分を認める」「他者を認める」「良き繋がり」を、より深く掘り下げてお伝えしてまいります。

今後の連載予定

♯2 “食事を大切にする”ということ
♯3 “運動を大切にする”ということ
♯4 “休息を大切にする”ということ
♯5 “自分を認める”ということ
♯6 “他者を認める”ということ
♯7 “良き繋がりを大切にする”ということ

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