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語り合おう。ひと、まち、お寺。

鼎談・これからのお寺の役割を考える “人づくり”で“まちづくり” 注目のまちづくり事例にお寺のあり方を学ぶ(前編)

これからの時代、お寺の役割はどうなるべきなのか。変化すべきこと、変化すべきでないことは何か。この特集では、今世間の注目を集めるさまざまなプロジェクトを通じて、お寺が取り組むべきことを考察していく。

第1回目は、島根県の「教育魅力化特命官」の岩本悠さんがゲスト。岩本さんは、島根県隠岐郡海士(あま)町にある、廃校寸前だった島根県立隠岐島前(おきどうぜん)高等学校をさまざまな手法で魅力化し、地域全体で“人づくり”することで、全国でも指折りの“まちづくり”事例を作り上げた人物。現在は、その手腕が評価され、島根県から「教育魅力化特命官」として任命されて、地域に“開かれた学校”づくりに邁進している。

仏教界でも言われて久しい、“地域に開かれる”とはどういうことか?“人づくり”による“まちづくり”とは何か? 仏教界と教育界、共通のテーマからこれからの地域に求められるお寺の役割を考える。

2018.05.07 MON 10:00
編集 島田ゆかり

隠岐島前高校魅力化プロジェクトとは

2007年よりスタートした、島根県立隠岐島前高校と地元3町村の協働による、魅力ある学校づくりからの持続可能な地域づくりを目指した取り組み。生徒が実際の町づくりや商品開発などを行う教育カリキュラム「地域学」の導入や、高校と地域の連携型公営塾「隠岐國学習センター」の開設、全国から多彩な意欲・能力ある生徒を募集する「島留学」など独自の施策が行われている。
2008年度には28人にまで減っていた入学者数を、2012年度には59人に増やし、さらに2014年度には全学年2クラスに到達させる異例のV字回復を達成。“人づくり”の効果は、学校だけでなく町全体にも広がり、全国の自治体からの視察が絶えない注目のプロジェクトとなった。

PROFILE

岩本 悠(いわもと ゆう)

島根県・地域魅力化特命官

1979年、東京生まれ。学生時代、一年間アジア-アフリカ20ヵ国の地域開発の現場を巡る。
帰国後、その体験学習録『流学日記(文芸社/幻冬舎)』を出版。その印税でアフガンに学校を建設。『こうして僕らはアフガニスタンに学校をつくった(河出書房新書)』。大学卒業後、ソニー(株)で人材育成・組織開発・ 社会貢献事業に従事。その傍ら途上国の教育支援活動や、全国の学校で開発教育・キャリア教育に取り組む。2006年 日本海の離島 海士町へ移住し、教育委員会にて “人づくり”からの“まちづくり”を推進。現在は島根県庁にて新設された「地域魅力化特命官」の職に就き、同県の教育の魅力化に取り組んでいる。
2016年日本財団ソーシャルイノベーター最優秀賞

PROFILE

井上広法(いのうえ こうぼう)

宇都宮市光琳寺副住職。(一社)寺子屋ブッダ/プログラムディレクター・理事

1979年、宇都宮市生まれ。光琳寺副住職。佛教大学で浄土学を専攻したのち、東京学芸大学で臨床心理学を専攻。仏教と心理学の立場から現代人がより幸せに生きるヒントを伝える僧侶として活動している。2014年から、マインドフルネスをベースとしたワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を開始。また、お坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」(テレビ朝日系)の立ち上げに関わり、企画アドバイスを行うと共に、自らも同番組に出演。現在も各メディアで活躍中。お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunohaを企画運営。著書に「心理学を学んだお坊さんの幸せに満たされる練習」(永岡書店)がある。

PROFILE

松村和順(まつむら かずのり)

(一社)寺子屋ブッダ/プロデューサー・代表理事

1973年、長野県生まれ。寺子屋学(当サイト)プロデューサー。中国留学中に弘法大師空海の青春時代を描いた日中合作映画のアルバイトをしたことをきっかけに、同映画の制作プロダクションに入社。助監督を経てドキュメンタリー映画、TV番組、企業プロモーション映像の演出を手掛ける。2007年に株式会社百人組を設立し、代表取締役社長に就任。 2010年、お寺をもっと身近で楽しくて暖かい場所にしようと寺子屋ブッダの活動を開始。一般社団法人 寺子屋ブッダ 代表。

寺子屋ブッダ http://www.tera-buddha.net/
まちのお寺の学校 http://www.machitera.net/

人の意識がこの社会をつくっている

松村

岩本さんには以前に、島前高校魅力化の取材でお会いして、取り組みのお話を伺いましたね。このたび、僧侶の方々を読者ターゲットにした「寺子屋学」というWEBメディアを立ち上げました。岩本さんが取り組まれている教育の現場も多くの課題があるとお聞きしましたが、お寺を取り巻く環境も同様に多くの課題を抱えています。時代が変わり、お寺に求められることも変わってきていると感じていて、これからのお寺は、地域の人びとの「心身の健康や成長」にもっと積極的に関わっていくことができるのではないか? つまり、“人づくり”をすることで“まちづくり”にもっと貢献できるのではないかと思っています。
今こそ、学校教育の現場で“人づくり”をすることで、海士町の“まちづくり”にも大きな成果をあげた岩本さんの取り組みがとてもヒントになると思っています。そのあたりのお話を、今日はぜひお聞かせください。

井上

私は初めてお目にかかります。今日は僧侶の立場から、岩本さんのお話をヒントにお寺の存在意義、地域から求められる僧侶の役割を改めて考えてみたいと思います。

岩本

確かに、お寺は地域の人々の「心身の健康維持や成長」の場に相応しいかもしれませんね。僕は学生時代、生き方に迷ってしまったことがありまして。当時は「そうだ、お寺に行ってみよう」という発想がなかったのですが、大学を1年間休学して、「流学」としてアジア、中東、アフリカなど、いろんな地域に行きました。そのときに「悟った!」と勘違いした(笑)瞬間があったんです。

井上

それは興味深いですね。

岩本

キリマンジャロを登っていたときに高山病にかかってしまい、心身ともに完全に参ってしまったことがありました。それでもなんとか登ろうと、深い呼吸をしながら4日間登り続けたんですね。体調は最悪の状態でした。そのときに突然、「世界はすべてつながっている」と感じた瞬間があったんです。ひとつひとつ、あらゆるものに価値があって、そこに価値を見出せるかどかは自分次第なんだと。環境が何かを決めているのではなく、価値や幸せを生みだすのは、自分の心次第なんだと思ったんです。僕は悟ってしまったのか! と感じた瞬間があったんですね。それで「早く山を下りて、これを人に伝えなければ」という衝動に駆られたんです。(笑)

松村

まるでお釈迦様の追体験のようですね(笑)

岩本

今の例はキリマンジャロのひとつの体験ですが、元々僕は「自分はどう幸せに生きるのか、幸せとは何か」が自分のテーマでもあって、マザーテレサの死を待つ人の家にも行きました。そこで、自分は自己犠牲のなかで他者奉仕を続けられるほど聖人ではないと思いました。しかし同時に、自分が最大限幸せに生きるには、狭い意味での自己満足よりも、人の幸せや人類の幸せ、世界の幸せに貢献しているほうが、結果的に自分が幸せなのだと思ったんです。

井上

自利利他ですね。岩本さんが、お坊さんに見えてきました(笑)

岩本

僕はそれを「自他満足」と言ってきました。自分はどう人類の幸せに貢献できるのか。人の意識がこの社会をつくっているとしたなら、一人ひとりの深い「気づき」や「学び」によって、人がよりよく変わっていき、この社会や世界がよりよくなっていくと思ったんですね、二十歳の頃に。

井上

仏教も同じコンセプトですよ。平安時代に活躍した伝教大師は、比叡山で大乗仏教を担う僧侶の養成をするため、いわば建学の精神とも言える『山家学生式』を著し、嵯峨天皇に請願しました。そこには、国の宝とは金銀財宝のことではなく、慈悲の行いを実践する人、与えられた持ち場持ち場を明るくできる人だ。自分の幸せと、他者の幸せを重ねて行動できる人こそが国の宝であると記されています。

岩本

その通りだと思います。今は“持続不可能”な社会になっていて、それは人のあり様から起きているように思います。社会のシステムは急には変えらませんが、人は社会のシステムに少しずつ変化をつくり出していける。もしくは変化をつくり出せる人をつくっていけば社会も変わる。

僕は「どうしたら人は深い気づきに至るのか」をずっと考えていました。いろいろ調べたり自分の経験を振り返ってみると、極限状態や、「正常」ではない心身の状態のときにその気づきが訪れやすいように思います。例えば10日間断食するとか、何時間も泳ぐとか。でもそれでは一般的に広がらないし、実践中に死んでしまうかもしれない。危険だし、社会にも受け入れてもらえません。だからこの方法はないな、と思ったときに、深い対話によって気づきを引き出せる、コーチングやファシリテーションという手法はそれに近いかもしれないと思ったんです。

松村

禅の公案と問答の中で気づきを生んでいく感じですね。

岩本

はい。これなら身体的負担はないし、危険もありません。僕はソニーで人材育成の仕事に就きましたが、深い創造性の喚起とか志によるリーダーシップの開発など、まさに心のあり様をテーマにしていました。ある朝、急いで銀座を走っている時に、とあることに「はっ」と気づきました。途上国の貧困や、紛争も、地球環境の問題も然り、すべて問題の深いところでは構造が共通している。「自分さえ良ければ」……という発想で人々が動くことによって紛争を生み出したり、貧富の差につながったりするわけです。人の心のあり様が社会の問題を生みだしている、という構造です。やはり僕は“人づくり”からコミュニティや社会をよりよくしていくことに関わっていくことが、自分のミッションだと確信しました。

島前高校魅力化プロジェクトは“人づくり”だった

松村

ソニー時代に、海士町の中学校に、出前授業の講師として招かれたんですよね。そこで、どんな流れでソニーを辞めることになり、離島への移住を決意されたんですか?

岩本

懇親会の時に、僕が普段思っていること、例えば先ほど言った人づくりや学びの価値などの話をしたんです。そうしたら「それなら岩本さん、実際に来て、人づくりでまちづくりを取り組んでみませんか」と誘われまして。実際に移住を考えた時、「小さくても一人一人が自分の持ち場を照らしていくことで、社会全体が明るくなっていく」というイメージが湧きました。海士町には、多くの地域が抱える問題が山積していました。人口減少、少子高齢化、財政難などです。ここで明かりが灯れば、そして、それが飛び火していくことで、国が照らされていくと思いました。

松村

岩本さんの中で、ある意味海士町は、日本の課題の最先端だという意識があったんですね。ここで解決できれば、この解決方法はいろんなところで使えると。

岩本

そうです。海士町でのまちづくりの例が、持続可能な社会づくりのモデルになる、と思いました。小さな離島でもできるなら、という希望の光になる。プロジェクトのハウツーも参考になると思いますが、それよりも変わっていく過程に「自分たちもできるかもしれない」と思えることが大事なんです。

井上

具体的な取り組みはどんなことをされたんですか?

岩本

50年前には約7000人いた島民が、2400人まで減少していました。当然、高校も生徒が減り、平成10年頃は70人いた生徒も平成20年には28人に。高校がなくなると、子どもたちは中学卒業と同時に島を出なければなりません。そうなると世帯ごと島を出てしまう。高校がなくなることで、人口減少が加速するんです。ですから、島前高校を起点に取り組みを行いました。

まず、授業のカリキュラムの見直しです。たとえば「地域学」や「夢探究」という授業では、地域のリアルな課題解決やまちづくりに挑戦したり、外部講師やインターネット中継なども活用しながら多様な価値観との出逢いや自分の生き方を探究する対話の機会を提供しました。

大きな反響があったのは「島留学」という制度です。都会からはもちろん外国からも留学してくる生徒もいて、島で育った生徒たちには異文化や多様性を学ぶとてもいい機会になっています。揉め事も起きるし、溝や壁もできれば喧嘩もする。ライバルにもなり、ぶつかり合いながら学んでいける機会をつくっています。今では生徒の4割は留学生です。

松村

でも、学校のカリキュラムを変えるって、かなり大変なことじゃないですか?

岩本

当然、反対もありましたよ。当時僕は26歳でしたし、東京から来た、よくわからない若者が何をしてる、と。でも、子どもたちの変化や成長が見えてきたことで、風向きが変わりました。2009年に行われた「第1回観光甲子園」では、生徒たちが最優秀の「文部科学大臣賞」を受賞しました。これは全国の高校生が、地域の観光プランを発表するものなのですが、島前高校の生徒たちは「ヒトツナギ観光プラン」を考えました。地域にある人と人とのつながりが観光資源になる、という提案です。今までは自分の考えもうまく言えないような子どもたちだったのが、多くの人たちと対話し、自分の意見を堂々と発表できるようになっている。こうした子どもたちの変化が、教員や大人たちの考えの転換点になっていきました。

松村

地域の人たちも、子どもたちが変わった姿を見て、「この地域は変わっていくんだ」と思えたんでしょうね。

岩本

そうかもしれません。子どもたちは、まちの未来そのものです。それを地域の大人たちも感じていました。このプロジェクトで生徒たちの意識も変化し、「ふるさとに貢献したい」「将来、地元に戻って仕事をしたい」と答える生徒が増加しました。56人が定員だった寮は、当時は4~5人しか入らず赤字になっていましたが、今では満室になり、新たな受け入れ施設が必要になりました。

自分の人生の長さを超えていく時間軸が、人や地域のためにという志を育む

岩本

よそ者で、若造で、地域のこともよく知らない僕が海士町で教育のプロジェクトを推進できたのは、地域に支えてくれる方々がいてくれたからです。その人たちは、常に「学び」の姿勢なんです。僕から何かを学ぶという意味ではありませんよ。異質なものを受け入れて、それを活かそうとする姿勢とでも言いましょうか。そういう方々は例外なく、自分のためだけではなく、「人や地域のために」という志を持っています。そして、自分の人生の長さを超えていく時間軸を持っています。文化というのは、歴史の中で引き継がれるもので、次の世代につないではじめて育まれていくものです。大切なものを守り続けるために、変化が必要で、それには学びの姿勢が不可欠なのです。お寺という場所も、長い歴史を有していますよね。時間軸を大分長く感じられる場所というか。

井上

そうですね。私のお寺もあと少しで600年を迎えます。お墓には自分のルーツがありますから、自分の人生の長さを超えた時間軸を感じずにはいられませんね。自分は過去にも未来にもつながっていることが分かるはずです。

岩本

昔のことをどれだけ自分事として捉えられるか。これは、未来を見据える時間軸にもつながります。時間を繋いでいくことに、どれだけ責任感や使命感を持てるか。当然、社会問題への視点にもなりますよね。「自分のためだけではなく、人や地域や社会のために」と思えるには、時間軸も大きく影響していると思います。大切なものを守るためにこそ変化が必要だと実感できるのは、そういう視点を持った人でしょうね。

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