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語り合おう。ひと、まち、お寺。

『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書、2011)の勝 桂子(すぐれ・けいこ)が提唱する、心が軽くなるお寺になる秘訣とは? 〝心が軽くなるお寺〟になっていますか?

いまの日本には、生老病死苦があふれています。
仏教は、生老病死苦とどう向き合うのかを教えるものですから、いまほどお寺が求められている時代はないはずなのです。それなのに、わが国の伝統仏教寺院の半数以上が、「弟子の代まで寺を維持できるのか」、「この勢いで檀家が減ったら10年後は修繕費もなくなるのでは……」と、多くの懸念にさいなまれています。
需要があるはずなのに、なぜ日本の伝統仏教寺院は活躍できていないのでしょうか。

2018.05.07 MON 10:00
執筆 勝 桂子

いまの時代の〝生老病死苦〟を見つめる

資本主義社会は競争原理をベースとして成長しているため、私たちは学校でも会社でも、他者を蹴落としながらランキング上位へ這い上がることを求められています。競争からこぼれ落ちた人に手をさしのべようとすれば、自分までも波にさらわれかねない荒波のなか、多くの人々が生きづらさを感じながら暮らしています。
それでも戦後の半世紀、焼け野原から経済成長を遂げた時代は、誰しも給与や売上が右肩上がりに増えていたので、苦しみは表層に出てきませんでした。

ところがここ四半世紀、経済成長が止まってデフレに突入。人口も頭打ちとなって、人口増加により自然と消費が膨らむ期待もなくなって、「老後破綻」、「下流老人」、「無縁社会」、「孤立死」など、懸念ばかりが声高に叫ばれるようになりました。

この状況は、狩猟社会やのどかな農村社会とは一線を画す都市社会ができあがり、多数の価値観が出現した釈尊の時代と重なっています。一見、モノは溢れ、きらびやかな街ができあがっていますが、刺激的なことが何もなかった時代と較べ、人々の価値観念はカネやモノへと執着してゆき、思いやりや感謝といった目に見えない価値は忘却されてゆく――。
そうしたなかで、疲弊せずに生きるにはどうすればよいのか? を探求したのが釈尊の教えです。

釈尊の教えを聴く場として、お寺の存在意義がこれほど高まっている時代はないのです。

心が軽くなる答えかたとは?

☑お寺に参るとき、なぜ合掌するのですか?
☑お布施の目安を聞くと「お気持ちで」といわれるのはなぜ?
☑ニセの托鉢の見分けかたを教えてください
☑仏教では霊魂を認めていないのですか?
☑大乗仏教より上座部のほうが崇高な教えなのですか? etc.etc.

そんな素朴な疑問が寄せられたとき、お寺ではどう答えたらよいのでしょう?
昨今の仏教ファンは、海外旅行や観光旅行で見聞を積んでいます。「わが宗派では……」と宗派独自の知識を与えるように語っても、「あれ、別のお寺では違うことを言っていたぞ。どっちが本当なんだ?」と疑問に感じ、スッキリ納得することができずに終わってしまうでしょう。これでは、質問者の心は軽くなりません。
そこでたとえば、「〇〇宗ではこのようにするそうですが、私どもの宗派ではこんなふうに考えているため、別のやりかたにしているのです」と多角的な視点で答えることができたならば、「さすがは和尚さま、見識が深くていらっしゃる!」と腑に落ちてもらうことができます。疑問に感じていたものが五臓六腑へストンと落ちれば、聞いた人の心は軽くなります。複数ある考えの筋道を提示し、相談者自身に答えを選んでもらうことで、中道精神を伝えることができ、この問答じたいが布教となります。

例に挙げた☑の問いをはじめ、昨今の檀信徒から寄せられそうな30の問いについて、さまざまな宗派の僧侶にうかがった「納得しやすい答えの一例」を集めたのが、拙著『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(啓文社書房、2017年)です。キリスト教、イスラーム教のものの見かたについてもふれています。宗教リテラシーを深めていただくきっかけの一冊として、お手にとっていただけたら幸いです。

現役世代の若い人へも、苦悩の改善提案をしよう

お寺の行事に集まるのは高齢のかたばかり。映画会やヨガ教室、カフェなど、教えと直結しない文化的なことをやれば若い人も来るけれど……と、二極分化のお悩みはありませんか?

お寺は非課税法人ですから、ひろく公益の役に立たなければならないはず。ましてや現役世代の多くが心の不調をうったえ、カウンセリングルームや心療内科は予約でいっぱいです。能力を発揮したいのにしきれない。健康状態がおもわしくなく、役に立つことができない。そんな人々に、思考をチェンジする契機を与え、ストレス低減を実現する力を内包しているのが、仏教のはずです。

図は、少し前のデータですが、1970年代から2008年(リーマンショック前)までの若年層・中年層・高年層の意識を調査した結果です。1973年には、「あの世を信じる」人は高年層に多かったですが、高年層で「あの世を信じる」人の割合は下降しつづけ、バブルがはじける直前あたりで中年層と逆転しています。

中央の「奇跡を信じる」については以前から若年層のほうが多いですが、高齢層では下降しているのに比べ、中年層・若年層ともにバブル崩壊後から急上昇していることがわかります。

「あの世を信じる」、「お守り・おふだの力を信じる」がともに1993年→1998年でガクンと下がっているのは、1995年のオウム真理教による一連の事件の影響と推察されますが、高年層以外はいずれも2003年には以前の水準に戻っています。「オウムの事件以来、日本では宗教離れが止まらない」との意見を宗教者からしばしば耳にしますが、現実は違います。デフレにより目に見える経済に希望が持てないぶん、あの世や、お守りおふだの力といった超越的存在へ向かう人々の意識は高まっているのです。

いまの20~30代の人たちは、物心ついたときからデフレでした。ことあるごとに親が「お金がない」と言うなかで育っていますから、仕事や学業や人間関係がうまくいかなければ、将来に対して希望が持てなくなってもしかたがない側面が多分にあります。そこで高度経済成長を知っている世代の中高年がいかに「人生は楽しまなければ」、「希望を持て」といっても、響かないのは当然のこと。

頼られるお寺になっていただくために僧侶のかたがたに意識していただきたいのは、現実を生きる若年層・中年層のこの不透明感、不安感、あふれる無常観をキャッチし、共感していただくことだと思います。

そして、知識を教えさとすよりも、相談者自身に納得して結論を選んでいただく、という方向でお話しされると、心が軽くなるお寺に近づくと思います。

PROFILE

勝 桂子(すぐれ けいこ)

ファイナンシャルプランナー、行政書士、葬祭カウンセラー

遺言、相続、改葬、任意後見、死後事務委任などエンディング分野の実務に応じるほか、各地の僧侶研修、一般向け講座などに登壇。 また、生きづらさと向きあう任意団体<ひとなみ>を主宰し、宗教者や医師、士業者、葬送分野の専門家と一般のかたをまじえた座談会を随時開催している。

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