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寺子屋學シンポジウム 2019.11.25 - 第1部 対談「健康と習慣とお寺」松本紹圭×川野泰周 (中編)

全3回に渡ってお届けする、松本紹圭師と川野泰周師の対談「健康と習慣とお寺」。
(前編)では「健康」という言葉の意味合いにせまり、真の意味での健康を保つには「習慣」が大切であるという話に至りました 。
続く(中編)では、お寺に来た方に「習慣」を意識してもらうために松本紹圭師が実践している「テンプルモーニング」という活動について語っていただきました。

2020.01.28 TUE 10:12
編集・構成 遠藤卓也
PROFILE

松本紹圭(まつもとしょうけい)

僧侶・未来の住職塾塾長

1979年北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader、Global Future Council Member。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、7年間で600名以上の宗派や地域を超えた若手僧侶の卒業生を輩出。『こころを磨くSOJIの習慣』(ディスカバートゥエンティワン)他、著書多数。お寺の朝掃除の会「Temple Morning」の情報はツイッター(@shoukeim)にて。

PROFILE

川野泰周(かわのたいしゅう)

臨済宗建長寺派林香寺住職/RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長/一社)寺子屋ブッダ理事

2004年慶応義塾大学医学部医学科卒業。臨床研修修了後、慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。2011年より大本山建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行を行った。現在は寺務の傍ら精神科診療にあたり、マインドフルネスや禅の瞑想を積極的に取り入れた治療を行う。またビジネスパーソン、看護師、介護職、学校教員、子育て世代の主婦など、様々な人々を対象に講演・講義を行っている。著書に『ずぼら瞑想』(幻冬舎)、『あるあるで学ぶ余裕がないときの心の整え方』(インプレス)などがある。精神保健指定医・日本精神神経学会認定専門医・医師会認定産業医。

3.健康習慣を実践する場としてのお寺の可能性

川野泰周

松本さんは「テンプルモーニング」という活動をされていますよね。お寺を舞台として、地域の方たちに集まってもらってお掃除などの朝活をおこなっているという「テンプルモーニング」のご活動について、お話しいただけますか?

松本紹圭

「テンプルモーニング」の開催は、まずtwitterで呼びかけています。これが私にとっての「パブリックコミットメント」なんですかね。出勤や通学する前の、朝7時半にお寺に集まって1時間ほどやっています。この中で「習慣を整えましょう」ということを、ものすごく言っているわけではないのですが、やはり普段起きる時間よりも、ちょっと朝早く起きてお寺に集まって掃除をするってこと自体が何かちょっと、スイッチが入る感じですかね。多少なりとも何かしらのスイッチを入れにくる人に、気軽に来てくださいという集いですね。朝集まったらまず15分ぐらいお経をよみます。

松本紹圭

やはり声を出すというのも多分、体を起こすのにすごくいいことなのだと思います。そのあと20分ぐらい掃除をします。掃除をしながら喋る人もいるし、1人黙々と掃除をする人もいます。やり方は人それぞれです。

松本紹圭

お墓を掃除する人もいますね。お墓を掃除してもらって面白いのは「ご先祖様のことを思い出しました」という感想を言う方がいます。確かに、普通なら自分の家のお墓しか掃除したことがないですよね。よその家の墓を掃除していいのか、どうなのか。でもお坊さんに、お墓を掃除してと言われたのだからよいのでしょうけど。だから掃除する前に「ちょっと失礼します」という感じで挨拶をしてから掃除をするそうです。そして知らない人のお墓を掃除すると、その人と少し繋がったような気がする。遡ってみれば、どんな人もどこかで繋がっているのかもしれない。よくよく考えてみると、皆どこかでつながるご先祖なのかもしれない。そんなことを思う方がいたり。
掃除のあと皆でお茶を飲みながらお話をするのですが、やはり仲間がいることの大切さがすごく大きいなと思います。

松本紹圭

「伝えることからつながること」と書いてありますが、こういった取り組みを通じた「お寺の役割」を考える時に、どうしても「仏法興隆」とか大上段な言葉が入ってしまう傾向がありますよね。「仏法興隆」は大事なことですが、それをあまりにも中心に持ってきてしまうと、お坊さん側がかたくなってしまう。「あれしなきゃ、これしなきゃ」と、その日で全てのゴールを決めなければいけないような気持ちになって、かえって参加者との繋がりがつくりにくくなるのかなと思います。やはり人生は波もあります。たった1〜2週間の間でも、気分の波はありますよね。そういう波の中で、どこかのタイミングでお寺と繋がって、それ一度きりということでもなくて、長く色々なタイミングで繋がっていただいて。まさに習慣ですから。長い時間軸をかけてよりよく、その人自身の人生の「well-being」、そして「安心」が整っていくというところに、長い目で貢献できるということを意識したいな、と思っていますね。それもあって「よき習慣の道場」というぐらいのスタンスでいくと、非常に良いのではないかなと。

川野泰周

松本さんがやっている「テンプルモーニング」にはどんな属性の方たちが集まられるのですか?年代とか考え方とか立場とか、色々な方が来られているかと思うのですが。

松本紹圭

本当に幅広いですね。世代も性別もそうですし。ビジネスマンの方から、学生さんから、会社の社長さんから、主婦の方も来られています。毎回来られる方もいれば、たまに来られる方もいる。久しぶりに来れましたという方も。そして毎回必ず、初めての方がちらほらといらっしゃいますね。

川野泰周

現役で働いてらっしゃる方もいますか?

松本紹圭

現役で働いている方が多いです。

川野泰周

お仕事に行かれる前に?

松本紹圭

そうです。そういう方が一番多いです。

川野泰周

私のイメージとしてお寺で朝のイベントをやると、地域のお年寄りやお仕事からリタイアされた方が集まれるイメージがあったので。現役の方が自分の心を整えに、まず1日の最初の時間を大事に使われているってことを知って、また新たな可能性を感じました。

・Temple Morning Webサイト
https://www.templemorning.com

4.自利利他円満な場づくり、お寺ならではの強みとは?

川野泰周

やはりお寺でやることの意味、というのが大事なのではないかと、私は前から思っています。まずお寺はやはり特殊な環境だと思うんです。核家族化がすすみ、檀家離れもすすんでいるような世の中のあり方をみると、確かにお寺というのは昔より近づきがたいものになってしまっているように思います。ひと昔前には寺子屋があったり、お寺で様々な悩み相談があり「駆け込み寺」なんて言葉もあったわけです。お寺はまず「安心できる場」という魅力が大きいのではないかと思いますね。私のお寺でも一般的な禅寺としての、座禅会などは開催しております。すると座禅会が終わったあとの茶話会で、名刺を交換する人ってほとんどいないんです。どういうことかと言うと、全部の肩書きを手放して対等な人として話しあえているということですよね。中には40代50代のお父さんが、10代20代の引きこもりの息子さんを連れて来られたりして。そこに少し前まで一部上場企業で役員として勤めておられた70代の方も参加していると。その70代の方と引きこもりの若い青年が一緒に話をしていて、何の話をしているかと思えば70代の方が「君はすごいね、20分間全然足を崩さないで座禅ができるんだね。僕は固いからだめなんだよ」と言っているのです。それに対して若い成年は「でもこうすると、続けやすいですよ」とか「僕も3ヶ月目ぐらいから座れるようになりましたよ」とかアドバイスをしていました。社会的な地位に関連するものではない題材をもとにして、二人の話がすすんでいくんですね。

川野泰周

あとは面白いのは、私自身が価値を再認識させていただいたという話です。生まれて38年間も暮らしてきた、私のお寺の本堂の柱の様式ですとか「この柱はきっと何々の木でできているから、次もし燃えちゃった場合には手に入らないよ」とか。「次はインドネシアの木になるから、きっと脆くなるよ」とか。いろいろ教えてくれる方がいるのです。自分自身のいる場所の価値が再認されて新しい付加価値がついていくという現象は「お寺を開かれた場所にしていこう」という思いから、こういうことに繋がっていったのだと大変嬉しくなりました。
そしてやはり、先程の松本さんのお話にありましたように、他の人のお寺でも掃き掃除をさせていただくことで、自分が単一な存在ではない、と感じられますよね。先祖代々があって今があるんだ、と。他のお宅様のご先祖代々もいて、それと自分のおじいちゃんおばあちゃんの、さらにおじいちゃんおばあちゃんもいる、と。脈々と命が受け継がれていることに気付けるのですね。これはお寺という古くから大切な本尊を守ってきた場所、古くから伽藍を守ってきた場所でしか、説得力を持って説明ができないのではないかと感じます。
それとともにやはり、習慣を提供できる場所であります。作務とか読経とか、禅宗だったらそこに座禅が加わるわけですし。勤行という形だったり、中には荒行というスタイルを持っているお寺もあるかもしれません。ご自身が持っている様々なお寺の習慣を体験いただくことができるのですね。本当に多くの情報が外から入ってくる現代で、自分自身と向き合う時間は本当に限られていて、それを許されている場所なのではないかな、と思います。
そして最後に、やはり繋がりというものに重きを置いたときに仏教には「自利利他円満」という言葉がありますね。このシンポジウムでも大変大きなコンセプトに掲げているわけですが、日本はどうしても「利他利他」と言われて私たちは育っていると言われているんですね。自分を慮る、自分を大切にする、ケアをする、という観点が非常に持ちにくくなっていると言われます。まず、自分の存在を認め合える場所、安全な場所をお寺が提供することによって、それを他の人に恩返しをしていくという大乗の教えの本質にある「自利利他円満」が実践できると考えているんですね。こういうコンセプトで私たちは活動していますが、松本さんがご覧になってこういう活動はご自身のお考えと比べてみたときに、何か共通点や「こうできるんじゃないか」というご提案とか教えていただけたら嬉しいのですが。

松本紹圭

もう、共通項しかないですよね、本当に。「自利利他円満」な場をつくるという、それを実践する人の繋がりができていく場としてのお寺。お寺だからこそ提供できる場の価値ということですよね。私はお寺に限らず、多分神社もわかりやすいと思いますが、過去先人たちのたくさんの祈りが、そこに積み重ねられた「みんなの聖地」ですよね。まずは、その土地自体がすばらしいということがあると思っています。その土地、聖地としての価値に触れるということ自体が、そこに訪れた人に対して何かはたらきかけるものがあるのではないかと思うんですよね。
先程、「テンプルモーニング」参加者の属性で言い忘れたのですが、面白いのは他の宗教の人もたくさん来ます。仏教の中でいろんな宗派のお坊さんが来られるのはもちろんのことなのですが、神道の方もいらっしゃれば、モルモン教の方とか、天理教の方とか、金光教の方とか。本当に色々な宗教の方が来て、そういう方もまた一緒にそこに祈りを重ねていくことができる。
掃除がいいのは、どの宗教でも宗教の違いを越えてどんな人でも一緒にできる。しかも一緒にそこの聖地にリスペクトを示すことができる。一緒にお経をあげるとかコーランの一節を、となってくると心理的抵抗もあると思いますが、掃除はそこも越えていけるので、私としてはすばらしいなと思っています。多分、日本のお寺って少なくとも特に最近は、遡れば昔もそうだったとは思うんですけど、宗派意識とかはそんなに強くなくって、誰でも出入りができるような「みんなの場所」として提供されているということがあります。お寺だからこそ提供できる場の価値ですよね。あの人はメンバーかメンバーじゃないか、とか。そういうこと関係なく、安心な繋がりをつくっていく場になっていく、と思いますね。だからそこの部分も、多分日本の仏教から発信できる。それこそ今ちょうどローマ教皇が来られていて、やはり色々なメッセージを発されていますが、いわゆる他宗教とどうやって交流を進めていくかっていうことも、すごく熱心に取り組まれていると思うんですよね。時代の流れとしても、今「うちは何教です」とか「うちはこうですから」とかいうことではなくって。一人の人として。それこそ肩書きを捨てて、名刺に何何教とか、そういうことも関係なく、繋がりをつくれる場が大事だと思いますし、お寺はその場になり得るポテンシャルがあるなと思いますね。

川野泰周

お寺というのはどうしても、ちょっと入りづらい。ご本尊を拝観したくても、本堂の入り口に「セコム」と書いてあってちょっと開けにくい、ということがありますよね。一方、お寺としても賽銭泥棒が怖くて、賽銭箱が外に出せないということがあります。例えば、隙間を空けてそこをロックしておくという形にして、どなたでも本尊を覗き見れるようにしているお寺もあります。そういった防犯面などの課題はありながらも、ぜひ誰でも出入りができるような「みんなの場所」となっていったらいいなと思いますよね。
お寺が開かれた場所になっていけば、一つの理想的な形と私たちが考えている「健康の習慣を提供できる場所」になり得るのではないかと思っています。そしてこうやって様々な宗派のお寺に関わる皆さんが、一堂に会して話し合いができるっていうこと自体に、まず本当に大きな喜びを感じています。

編集・構成 遠藤卓也

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