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お寺から始める ココロとカラダの健康塾 #4 お寺は「運動」の宝庫

精神科・心療内科医として診療に携わりながら
臨済宗建長寺派林香寺の住職を務める、川野泰周さん。

この連載では、お寺から提供できる「健康」について構想していただきます。

第4回は、食に次いで健康に欠かせない要素、「運動」について取りあげます。何気ないお寺の1日も、視点を変えれば運動に満ちているというメッセージです。

2019.01.28 MON 21:43
構成 増山かおり
PROFILE

川野泰周(かわのたいしゅう)

臨済宗建長寺派林香寺住職/RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長

2004年慶応義塾大学医学部医学科卒業。臨床研修修了後、慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。2011年より大本山建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行を行った。現在は寺務の傍ら精神科診療にあたり、マインドフルネスや禅の瞑想を積極的に取り入れた治療を行う。またビジネスパーソン、看護師、介護職、学校教員、子育て世代の主婦など、様々な人々を対象に講演・講義を行っている。著書に『ずぼら瞑想』(幻冬舎)、『あるあるで学ぶ余裕がないときの心の整え方』(インプレス)などがある。精神保健指定医・日本精神神経学会認定専門医・医師会認定産業医。

近年、「インナーマッスル」という言葉を耳にすることが増えました。力こぶや腹筋のように、体の外側にあって目に触れやすい筋肉ではなく、体の奥のほうにあって姿勢維持などに使われる筋肉の総称として使われている言葉です。スポーツ選手が監修する関連本も多く、特別な筋肉のように捉えられていますが、江戸時代の暮らしをしていれば、実は誰もが十分に鍛えることができたものでもあります。当時の飛脚は、現代の私たちから見れば超人並みのことをやってのけていますよね。特に武道をやっているわけではない農民でも、当時の記録を見ると非常に歩くのが早かったことがわかります。暮らしの中に運動が自然に組み込まれていたのです。

ところが、歩くことが大幅に減った現代の日本人の多くは、脚力が衰えてしまっています。昔の人は当たり前にやっていた行為が暮らしの中から失われているのですから、当たり前ともいえますね。その分を補うかのように、お金を払ってジムなどで運動の時間を特別に設けることさえあります。昔の人は、今私たちが運動と捉えていることを、運動だと思わずにやっていたのです。現代の運動はある意味、動かなくても暮らせるようになった恵まれた時代の産物だといえます。

■ 仏教の「歩く」修行

ですが、今でも江戸時代と同じような運動の形がみられる場所があります。それが修行中の僧侶の暮らしです。私も托鉢のために、鎌倉から江ノ島まで往復10km以上の道のりを歩くことがしばしばでした。ちなみにわたしが修行していた建長寺は、特に作務の厳しい道場として知られています。
そんな生活をしていますから、特別なトレーニングなどしなくても、5、6年も修行をすればみんな引き締まった逞しい体になります。そんなわけで、臨済宗の修行僧には、 特別なスポーツをしていなくても、かなりがっちりした体の人が多いのです。

また禅宗では、坐禅の合間に経行(きんひん)という歩行瞑想をします。曹洞宗ではゆっくりと歩くスタイルをとりますが、臨済宗では草履を履いてお堂の周りを走ったりもします。坐禅で固まった足の筋肉をほぐすためだけでなく、これ自体が坐禅と坐禅の合間に行う修行になっています。
つまり、体を動かすことで心も同時に育む仕組みが、生活の中に組み込まれているのです。

■ 医学からみた、歩くことの意義

このように、お寺の修行に自然と組み込まれた運動は、医学的にもよい効果が認められます。
例えば、ふくらはぎを動かし静脈のポンプ効果を促すことによって、体全体の血流が良くなり循環器系の病気などにもよい効果が出ることがわかってきています。

また、心にも単なる気分転換以上の効果をもたらします。この連載の第1回でも少し触れましたが、運動することによって、BDNF(脳由来神経栄養因子)という心の健康因子となる物質を増やすことができるのです。逆に、血中のBDNFの量が低下すると、うつなどの精神疾患を引き起こすことが知られています。
道場では、日々の修行によってBDNFが十分に増えていますから、うつ状態の修行僧はまずみられません。さらにBDNFは、気づきの能力も向上させてくれます。修行が同時に心身の健康のための取り組みにもなっているのです。

そのため精神科医は、うつの患者さんに対して、治療の一環としてよく散歩を勧めます。足の裏の感覚や、歩行と呼吸のリズムに注意を集中する「マインドフル・ウォーキング」です。坐禅と同じように、雑念が浮かんだらふたたび足の裏や呼吸に注意を向けなおします。これを日々繰り返すことで、集中力や判断力が高まるのです。
私は、自坊での坐禅会で経行を取り入れていますが、「坐禅よりも感覚がつかみやすく、かえって心が落ち着いた」と話す参加者の方もよくいらっしゃいます。僧侶の立場から「マインドフル・ウォーキング」を提案することも可能なのではないでしょうか。

■ 掃除も「運動」の宝庫

加えて見直したいのが、心と体の健康に寄与する「掃除」の存在です。
例えば雑巾がけも、真剣にやればものすごい肉体労働です。当然腕力を使いますし、移動する際に下半身も使います。修行中は、100畳くらいある廊下を走って雑巾がけしたりしますから、かなりの運動量です。

また、坐禅の前には広い境内を掃きますが、これには坐禅する場所を清める意味があると同時に、清々しい気持ちへと導く効果があります。伽藍堂(がらんどう)という言葉がありますが、坐禅をするお堂の中は、目に余計な情報が入ってこないよう、あまり物が置かれていません。日常生活においても、散らかった場所にいると目にいろいろな情報が飛び込んできて、脳を疲労させてしまうのです。掃除は、目に入る情報を減らす行為でもあり、心をすっきりさせてくれる効果があります。
神経衰弱を思い出していただくと実感できると思うのですが、情報が無秩序にあふれている状態は、脳をとても疲れさせるのです。反対に、七並べのように情報が整然とした状態は、心地よく安らかに感じられます。

人間の脳には、注意を向ける量に限りがあり、これを「注意資源」と呼びます。掃除によって目に入る情報を少なくすることで、注意資源をセーブすることができ、脳の疲労を軽減することができるというわけです。
つまり掃除は、自分を慈しむセルフケアにもつながります。「掃除は自分の心を掃除すること」とよく言われますが、これは心理学的にいっても理にかなっています。
また、道場だけでなく、職場やご家庭にもいえることですが、掃除をすることで相手に心地よいように配慮するという利他的な側面も見逃せないと考えています。

■ 日常を「運動」の場面に変える

このように、生活の細部に目を向けると、日常にいかに運動のチャンスが満ちているかがわかります。
自宅から駅まで歩く時間も、ぜひ「歩く」ということに集中してみてください。「今小石を踏んだな」「自分はどう腕を振っているのかな」「風が吹いてきたな」など、歩くときの自分の体の感覚に意識を向けるのです。いざやってみると、看板などの情報のほうに気を取られてしまい、なかなか難しいものです。
都市部ではその傾向はなおさらです。東京都心、渋谷のスクランブル交差点には何台もの巨大スクリーンが周囲のビル壁に設置され、同時に別々のCMが流れ続けています。そんな場所で足の裏の感覚に注意を向けるのは簡単ではありませんが、チャレンジするつもりで楽しんでしまうのがよいでしょう。

階段の上り下りに関しても同様です。何段目で足に疲労を感じたのか、息が上がったのか。長く続けていると「なんだか上りやすくなってきたな」と体力の向上を感じ、達成感も得られたりします。
でも、「たったこれだけで疲れてしまうなんて」などと自分を責めてしまっては、逆効果です。「○段目で脚が疲れた」と事実だけをありのままに受け入れてあげましょう。場所によって段差が違ったりもするので、いろんな階段を楽しむという楽しみもあるはずです。このように捉えると、運動が苦ではなくなっていきますよね。
好奇心をもった集中。これはまさにマインドフルネスです。単に一つのことに集中するだけではなく、当たり前にやっていることも楽しんでしまう。考え方次第で、あらゆる生活行為を「運動」に変えて楽しむことができるのです。
ぜひみなさんも、日常にひそむ「運動」を意識して、周りの方々と一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか。

歩く瞑想を日常に取り入れる

① 右、左と2歩歩きながら息を吸う。
② 右、左、右、左と4歩歩きながら息を吐く。
③ このサイクルを繰り返し歩き続ける。
④ 自分にとって心地よい配分を見つけ、歩数を変えてもOK(例:「4歩で吸い、6歩で吐く」など)。
※ 歩数を偶数にすると呼吸のたびに足が入れ替わることがないため、リズムをキープしやすい。また、吐くほうを長めにとることでリラクゼーション効果がアップする。

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